BMWの歴史を調べていて空白の部分が出てきた。
下記は色々な資料から。
1916年3月7日 BFWAG設立(AGは株式会社)
1917年 BMWに改称 マックス・フリッツを雇用
19〇〇年 ?
1922年 BFWと合併
1926年 BFW分離
1938年 BFWはメッサーシュミットに改称
上記〇〇?部分でBMWからBFWを分離したと思われる。
この部分は本やネットでも検索できない。
改めてBMWの歴史を整理してみた。
1916年3月7日 航空機・船舶用エンジンメーカーRMWラップ発動機工業(有)と
オットー航空機工業が合併し
BFW AG、バイエルン航空機製造設立。
BMW社自身はこの年をBMW誕生の年としている。
(オットー航空機工業創業者は4ストロークエンジンを発明したニコラスオットーの息子)
1917年 BFWは社名をBMWに改称。有限会社。
創業者の一人となるマックス・フリッツを採用。
1917年から1922年の間に航空機製造部門を分離しBFWをを設立していると想像できる。
1918年BMWが株式会社となる。
1920年
エンジニアのマーティン・ストールがダグラス500のフラットツインエンジンを分解し研究した。
この成果はモーターサイクル用エンジン、タイプ「M2B15」に結実、ニュルンベルクのビクトリアから受注した。
ビクトリア
ビクトリア
1922年
航空機の製造を禁止されタイプ「M2B15」を購入してモーターサイクル「ヘリオス」を生産していたバイエルン航空機製造会社(BFW)と合併しモーターサイクルメーカーとなった。
社名は引き続きBMW。
1926年 BFWを分離(再分離?)
ヘリオス
ここからはBFWの歴史。
メッサーシュミットがミュンヘン工科大学で学ぶ間も、
ドイツのグライダーのパイオニアであるフリードリッヒ・ハルト
とともにバイエルン航空機製造(BFW)で航空機の製作を行った。
1921年にグライダーS8を製作し、航続記録の世界記録を樹立した。
同じ年にメッサーシュミットが単独で設計したグライダーS9を飛行させた。
1923年にハルトから独立し自らの会社、メッサーシュミット航空機製造工場を設立。
これは州政府はBFWに援助をしていた為、BFWの設計人が実績をあげられないのでメッサーシュミットの設計人と入れ替える為の処置を州政府が取った。
合併後も設計は引き続きメッサーシュミットが担当。
ルフトハンザの社長エアハルト・ミルヒは事故で友人を失い、メッサーシュミットと対立。
航空省を率いたミルヒはドイツ航空工業の再編を行い、BFWを再建した。
メッサーシュミットは資産家の娘と結婚。
BFWの株を購入。株主となる。
1938年7月11日にメッサーシュミットはBf108、Bf109の成功によりBFWの支配人となる。
社名もメッサーシュミット株式会社に改められたが、メッサーシュミットは経営的にも優れた才能を発揮した。
1938年 BFWはメッサーシュミットに改称。
社名メッサーシュミットの支配人(経営者)となったウィリー・メッサーシュミット
ウィリー・メッサーシュミット
ポチ
↓
メッサーシュミットは低翼単葉のスポーツ機M37を設計した。これは航空省によってBf108という記号がつけられた。Bf108には先進的な技術が取り入れられ、若き天才としてメッサーシュミットが世界に注目されるきっかけとなった。
Bf はBFW時代に開発された機種。
社名がBFWからメッサーシュミットに改称された後に開発された機種はMeになる。
(戦時中ドイツ本国ではMe108、Me109とされていたが
戦後イギリスの意見でBFW時代設計機種はBfと表示するようになった。)
どちらで呼んでも問題は無し。
メッサーシュミット Bf108タイフーン連絡機
ドイツ空軍
アルグス As10C 空冷倒立V型8気筒 270馬力×1基
ポチ
↓
メッサーシュミットが設計したBf109が勝利した。
メッサーシュミット Bf109戦闘機
ドイツ空軍
納入前のBf109E(胴体に工場符号が記入されている)
ダイムラーベンツ DB605AM 液冷倒立V型12気筒 1,800馬力×1基
ポチ
↓
メッサーシュミット Bf110戦闘機
ドイツ空軍
ダイムラーベンツ DB601B-1 液冷倒立V型12気筒 1,475馬力×2基
ポチ
↓
メッサーシュミット Me163コメート戦闘機
ドイツ空軍
ヴァルター HWK503A-1(又はA-2)薬液混合ロケット 静止推力1,700kg×1基
着陸滑走中のMe163B
ポチ
↓
メッサーシュミット Me209試作戦闘機
ドイツ空軍
Me209V1 ダイムラーベンツ DB601ARJ 水冷V型12気筒 1,800馬力×1基
(短時間の緊急出力発揮により2,300馬力)
ポチ
↓
Me209V5
ダイムラーベンツ DB603G 液冷V型12気筒 1,900馬力×1基
メッサーシュミット Me210/410戦闘機
ドイツ空軍
ダイムラーベンツ DB603A 液冷倒立V型12気筒 1,750馬力×2基
メッサーシュミットMe210A
ポチ
↓
メッサーシュミット Me262戦闘機
ドイツ空軍
ユンカース「ユモ」004B-1軸流ターボジェット 静止推力900kg×2基
(BMWエンジン搭載機種もある)
テスト中のMe262V3(試作3号機)
ポチ
↓
メッサーシュミット
Me264アメリカ試作長距離爆撃機
メッサーシュミット Me23ギガント輸送機
ドイツ空軍
グノーム・ローヌ 14N48/49 空冷星形複列14気筒 1,140馬力×6基
Me323E-2輸送機(第2、第5エンジンを停止させて飛行している)
ポチ
↓
メッサーシュミット P.1101試作戦闘機
ドイツ空軍
ユンカース「ユモ」004B軸流ターボジェット 静止推力900kg×1基
未完成のまま連合軍に押収されたP.1101原型1号機
ポチ
↓
フェンドが設計した三輪バブルカーのKR200 カビネンローラー などバブルカーに小型エンジンを提供した。しかし、自動車部門の採算が悪化したため、1964年にKR200 の生産を中止、自動車から撤退した。
メッサーシュミット KR200
翌年にはブローム・ウント・フォス の航空機製造部門を吸収し、
社名はメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム へと改められた。
1969年5月にはハンブルクのHFBからブローム・ウント・フォス (Blohm + Voss) の航空機部門を買収し、再度社名をメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(Messerschmitt-Bölkow-Blohm)と変更した。
航空機部門は、ダイムラークライスラー・エアロスペース(DaimlerChrysler AeroSpace AG)と名称が与えられた。
ヨーロッパの防衛連携のため2000年にフランスのアエロシパル・マトラ、スペインのCASA、そしてDASAが合併してEADS (European Aeronautic Defence and Space Company N.V.)が創設され、ダイムラークライスラー・エアロスペースは EADSドイツ に社名が変わった。
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